ワタシのさんぽ

宮城県で夫、二人の息子、’09/9/8 ドーベルマンのハンナが加わりました。

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来客と外出、そして来客 地震後三日目

3月14日(月)
今日は、春を思わせる暖かい一日。
この日は、午前中に夫の知り合い二人が、それぞれ心配してバイクでやって来てくれた。
電話も何も通じないので、そうでもしない限り安否確認など出来ない状態だった。
どこもかしこもめちゃくちゃで車で行き来するのは、大変らしい。

電気も夜中に復旧し、電話などはつながらないけれど、それなりに生活できているので、安心してくれた。
電気が復旧すると携帯電話も次第につながり始めた。


午後になり、ワタシは親戚に電話をしてもつながらないので、息子たちには留守番を頼み、夫に運転してもらって二人乗りでバイクで叔母と叔父の所へ行く事にした。
地震後初めて、市内に出かける事になった。


秋保街道からR286へ。
西多賀地区に住む叔母は元気だった。
前日に停電と断水も復旧されたと言う。
玄関先で互いの状況を知らせあった。

そして、R286から河原町地区へ行き叔父の営む店へ行った。
途中通り過ぎた南材木町小学校は、沢山の人がいたようだったので、ここにも非難している人がいるのかもしれない。
次に通った古城小学校も同様な雰囲気だった。

叔父の店は開いていた。叔父も無事で元気だったし、もう一人の叔父家族(津波があった荒浜地区に近い地区在住)も無事だと聞かされて安心した。
長町に住む祖母も無事らしい。

長居もできないので、早々に帰宅する事にした。
横断した国道R4は、車の往来もいつものような感じに見えた。
R54から旧長町商店街に入ると道路は陥没していたり、道路脇の古い店などは、半壊していたり、壁が落ちていたりとひどい状態だった。
ワタシたちの住む地区よりもとてもひどい有様だった。

車のディーラーや大型商業施設などのショーウィンドウは、ばっくりとガラスが割れ、近寄るのも恐ろしい様子だった。
記録の為にと持参したデジカメはあったけれど、あまりにもひどい有様でカメラを向ける事ができなかった。

コンビニエンスストアもどこも開いてないし、ガソリンスタンドにはガソリンを始め灯油を買い求める人と車による長蛇の列があちこちで見られた。並んでいる人たち全員に買える保証はないだろうに。

疲れたけれど親戚の無事が分かっただけでなんとなく明るい気持ちになった。


その夜。
ワタシは、つながり始めた携帯電話で友人と話し込んでいた時だった。
夫の携帯がふいに鳴った。
そして、もともと携帯電話の電波状況がよくないので夫は室外に出て行った。

夫にしては珍しい長電話で、室内に戻って来るなり
「Nさんが東二番町小学校に避難してるんだって」
と、言った。
そこは夫の店のあるすぐ近くの小学校で避難場所に指定されていた。


Nさんは、夫と気が合うお店の常連さんでワタシも何度か面識のあるお客さんだった。
Nさんは津波被害が大きかった石巻市に住む。
地震当日は、たまたま仙台新港近くで仕事中に地震と津波に合い、何とか仙台新港から仙台市内の避難場所までたどり着いたと言う。

思案した夫が行動に出たのは早かった。
「俺、Nさんを迎えに行ってくる」

上着を羽織ながら夫は出て行った。
約1時間後、どこか山にでも登りそうな格好でNさんはやってきた。
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| 東北地方太平洋沖地震 | 11:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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